それが、大事なんだ。






カカシ。






此処から見える景色といったら、まったくもって例えようもない美しさだ。
生命力溢れる青々とした色がどこまでも続いている。
それらは、風に吹かれて、隣から隣へ、波を伝え続ける。
そのときに隣同士が触れ合って生じるカサカサという微かな音は、
浜辺に行くと聴こえるという小波の音を連想させた。
無論私は、一生涯この地を離れることはなく、その音を耳にすることもないのだが。
私の足はこの大地に縫いとめられ、身動きは一切取れない。
2足歩行が可能な生物を模したはずの私の身体には、
しかしあらゆる関節部は表現されず、また、足も一本しか与えられていなかった。
どんな気象の変化があっても、私は変わらず此処に在り続けた。
此処から見える景色も、変わらず在り続けた。
私は、この場所が、どうしようもなく好きだった。
此処は、私が守るべき場所であり、私を守ってくれる場所でもあった。





私の足下から、無限遠方まで続いているようにさえ思える田畑。
ぽつ、ぽつ、ぽつと、散在している民家。
遥か遠くに見える、連なる山々と、
二度と同じ表情を見せたことはない、広い、広い空。
これが、世界の全てだった。


足下に広がる芽吹くいのちを見守ることが、私の存在意義だった。
文字通り、見守ることだけが、私にできる唯一のことだった。
天災から彼らを守ることなんて、出来る訳はなかった。
それは、わかっていたことだ。
糧を求めて飛来した野鳥たちに、此処の所有者が見張っていると勘違いさせることが、
私に与えられた役割だった。
しかし、大した効果はあげることは出来なかった。
これも、わかっていたことだ。
私がここにいることに、大した意味はないのだ。
それは、誰よりも私が、わかっていたことだった。
それでも私は、此処から見える景色が好きだった。
これが、私の全てだった。





飛来してくる野鳥の種類は様々で、
それぞれが面白い特徴を持っていた。
中でも烏は見ていて飽きることがなかった。
彼らの瞳には、明らかに他の野鳥とは違う、
知性の色が覗えた。
狡猾さが、その立居振舞いに表れていた。
私の景色の中に黒い染みを作られることは、
願わくば遠慮したいことではあったが、
所詮私には何も出来ることはない。
全てを見届けるだけなのだ。


ある日、私の前方1mほどの所に烏が飛来してきた。
その頃、私の視界の大半を占めていた色は、
青緑ではなく、眩いばかりの黄金色であった。
彼は、私の存在などまったく意に介さず、食事を始めた。
目の前で、無残に食い散らかされていく景色の一部分に、
私は何だか、胸が痛いような気がした。
無生物であるはずの私に、誰がこんな思いを、感覚を、植え付けたのか。


――ふと、その烏と目が合ったような気がした。
そしてその瞳は、私に確かに、こう語った。


『世界はこんなにも広いのに、あんたは此処でこうして突っ立ているだけ。
 つまらないと思わないのかい?
 もっといろんなものを見たいとは思わないのかい?
 わかってるんだろ?
 あんたが、此処に居る意味なんて、とっくの昔に無くなっているんだ。』





それは、紛れも無い真実。
厳格な事実。
疑う余地の無い現実。
勿論、彼と私の間に共通語などありはしない。
そもそも、彼には声帯があるけれど、
私にはそんなものはない。
つまるところこれは、私が彼の瞳から汲み取った意志の断片なのだ。
それは、私の勝手な妄想が生み出した幻覚なのかもしれなかったが、
それを確認する術は、私には無い。
私には、五感はあっても、それ以上何も出来ることは無い。
感情を表すことも出来ない。
こうして何故かは分からないが、思考回路は形成されているものの、
今のところこれを利用する方法を私は持たなかった。





だが、だからどうしたというのだろうか。
此処から動けないから、何だというのか。
此処で、この景色を見守る為に創られた私が、如何して此処以外を望むのだろう?
此処に居る意味は、彼の言う通り、もう無いのかもしれない。
だが、だから如何したというのだろうか。
確かに私は、産み落とされた当初の目的はもう果たせそうにない。
だがそれは、果たして存在意義を失うこととイコールで結ばれることなのだろうか。





どこまでも続く景色。
私の世界。
それは、非道く閉じられた世界なのだろう。
私のことを、此処から動けない、と憐れむものもあるだろう。
変わり映えのしない景色の一部分と捉える者が殆どだろう。
だが、此処に在る、変わり映えのしない日々こそが、
誰よりも、何よりも、私の空虚な心を満たしてくれるのだ。
他の世界を知らないからだ、と言われても、言い返す術を私は持たない。
しかし、変わり映えのない日常をないがしろにすることなど、
あっていいことではないのだ。





だから、私は、此処以外の場所を望みはしない。
だから、私は、此処を守っていきたいと切に願う。





この景色が、堪らなく好きだ。
いつまでも、繋がっていけばいい。
何より大切な、この場所が。
それが叶うならば、私は何も望まない。





此処が世界の全てで、
此処が、私の全てだった。





finish.





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製作後記

無生物を擬人化した作品・って。結構好きなんです。
ええ、全く似合ってないのは百も承知ですが。
何となく、今感じていることを書いてみよう、と、
どっちかというと詩人になったような気分で執筆させて頂きました。
『何より大切なもののひとつは変わり映えのしない日常である』
が、椎名の価値基準の根底にありまして、
気が付くとそんな感じのテーマで書いたものが此処には多いなと。

さて。この話(?)は、椎名にしては異例の短文です。
ssというより、sssって感じでしょうか。
因みにこれ、『キリリク作品』とか銘打つつもりで書いていたりします。
二次創作にしようと思っていたのですが、ネタがあがらず・・・
そこで、オリジも書いていらっしゃると言うことで、こうなりました。
読み流しちゃってください。
散々待たせてこのへボさ加減、謝っても謝りきれませんが、もう限界です(涙。
どうぞ許してやってください。それでは(脱走。

Mon.Aug.23th,2004...Kakeru.S.